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浅田真央の鐘 私の回顧録
2010年03月31日 (水) | 編集 |
浅田真央の鐘を初めて見たのは、昨年10月3日のジャパンオープンという試合。

image-mao-jo.jpg

この時は、ジャンプミスはじめ演技に精彩を欠き、衣装に正直ドン引きし、
浅田選手がこの曲でこの演技で何を表現したいのか、サッパリ分からなかった。
何か一所懸命やろうとしているのは分かったけど、分かってそれぐらいだった。

次に見たのは、それから2週間ほど後のグランプリシリーズ第1戦、
フランスで行われたエリックボンパール杯。
ジャパンオープンで見たものとは全く印象の違うものに進化していて、
それは色とデザインが変更された衣装のせいだけではなかったと思う。
ここで初めて、浅田真央の鐘に衝撃と期待を感じたんだっけ。

3回目はそれから1週間後の、同じく第2戦、ロシアでのロステレコム杯。

この試合で初めて、競技中に心が折れかかった浅田選手を目にしました。
2007年の世界選手権、冒頭のトリプルアクセルを飛ぶ前に大転倒し壁に衝突、
その時ですら見せなかった、浅田真央の心の内側。

image-mao-gps2.jpg

試合後は、石のように自分を固め、周囲の何も受け付けず、
どんな時もきちんと応えようとする優等生は、そこにはいませんでした。
コーチの声にも反応を示さず、1度も顔を上げることなく。
あそこにいたのは、ただひたすら苦しみもがいている浅田真央そのものでした。

今思えばこれが、あの『鐘』へと続く最初の1歩だったんですよね。

4回目に見た鐘は、2ヵ月後のクリスマスの日に行われた全日本選手権。
オリンピック出場を賭けた、最後のチャンス。

緊張と多くの人が祈りをささげる中、鳴り響いたのは戦慄の鐘でした。
なんだか分からないけど、凄まじかった。
最後天に突き上げられた両手に、見えない重圧をこちらが感じ、
これが19才の表現する世界かと、ちょっと信じられない演技でした。

オリンピック直前、韓国で行われた四大陸選手権。

なぜだかこの時の鐘の演技を、私はさっぱり覚えていません。
ブログにも書いていないし、思い出そうとしても思い出せない唯一の鐘。

覚えているのは、真央ちゃんが空港で被っていたボンボン付きニットキャップと、
ショートプログラム演技後のキス&クライで、出された点数に
一瞬不満そうに肩をすくめて退場した真央ちゃんでした。
ああいう姿を見るのは初めてだったので、「いいぞいいぞ」って思っちゃった。
でも、鐘のことは何も覚えていないんですよ。なんでかな?

そして、冬季オリンピック。それから、世界選手権。

このふたつの大会は直近すぎて、まだ回顧するには気持ちが新鮮すぎて、
ただ言えることは、このふたつの大会の間もずっと、
浅田真央の鐘は凄みと深みを増し続けていたということです。

image-mao.jpg

ひとつひとつの彼女の経験が、次の鐘へと紡がれていき、
浅田選手は全身全霊をもって高らかに鐘を鳴らし続け、
本当の最後に最高の高みへと昇華していきました。

世界選手権、最後の鐘の音が響き渡った瞬間の浅田選手の笑顔。
あれは、今シーズンずっと苦しみと悔しさの中で闘い続けた浅田真央が
それら全てから解き放たれ自由になった、歓喜の笑顔だったと思います。

これこそ、ラフマニノフがこの曲にこめた想いだったのではないでしょうか。

あ、いかん。泣きそうになってきた。

タラソワコーチが言ったように、これは真央にしか滑れないプログラム。
それは単純に、トリプルアクセルが跳べるという意味だけではなく、
全ての困難に立ち向かっていける不屈の精神を持った浅田真央だからこそ、
だからこそ、完成することができた唯一無二のプログラム。
浅田選手に『鐘』を授けたタラソワコーチに、感謝します。

浅田真央選手のファンで本当に良かった。
浅田真央の鐘を、見続け、見届けられて、本当に良かった。

真央ちゃん、お疲れちゃん。


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